2015年から2018年に過去ログから「ご家族鑑定」にまつわる記事をピックアップしました。
このシリーズはどれも正面勝負でガツンと書いてるので、長くて重いです。改めて読み直すと、お目にかかってきたたくさんの方々のお話が蘇ります。どのかたもお元気にそれぞれの道で、健やかにお過ごしのことを心から祈っています。
ひとつひとつ、少しずつ味わっていただけるととても嬉しいです。
2015年11月13日「家族鑑定におもうこと」
東洋系の占いの世界観は、「個人」という独立したものがあるわけでなく、周囲の環境のつながりのなかの結び目のようなものとして、「自分」を想定しています。例えば、自分を取り巻く環境の最たるものは「家族」でしょう。自分の意思で選ぶことができないのが、自分が生まれ落ちる環境としての家族であり、大人になってから新しく自分で作り出すのもまた家族ですし、私自身のように新しい「家族」は作りません、という選択肢も昔に比べると増えています。(以下リンク先につづく)
2017年1月29日「ご家族鑑定のこと(其の1)
ある方がおっしゃるには、お姑さんが有名占い師に相談したら「ああ、このお嫁さんならもっとがんばってもらって(無理させて)ちょうどいいから、大丈夫」と言われたらしいんですが…ほんとうにわたしはこのままで大丈夫なんでしょうか?なんてお話を伺うこともあり、そんなときにはたいへん不謹慎ながらも、ワタクシは個人的には燃えます。めらめら。
もちろん立場が違えば言い分も違うし、世代も違えば、価値観もご希望もそれぞれに違う。絶対に「正しい」解があるわけではありませんよね。(以下リンク先につづく)
2017年1月29日「ご家族鑑定のこと(其の2)
彼女は、無意識についついお母さんの真似をして、お母さんと同じように振る舞っている(そしてそれはたぶん世の中では「気が利く優しい女性」として賞賛される行動だ)ご自分に気づかれたのですね。よかったです。(がんばりすぎて、でもそれを自覚出来ずに、ひどい体調不良をひき起こしてしまっているのです)
無自覚に、無意識に、常にひとのことひとのことひとのこと…と向かって行くと、そのうちご自分がスカスカに疲れ果ててしまう。放っておくとそうなってしまうかもしれない?!なーんて、ご自分の傾向に気づくだけでも、全然違います。
ご自分があたりまえ、とおもっているパターンや考え方や信念の多くは、親の影響下に形成されたものだったりします。もちろんいいものはそのまま活かして、ご自身のなにかひっかかりになっているものがあれば、そこを検証する。そのあたりを丹念に振り返ってみていただいています。(以下リンク先につづく)
2017年2月12日「ご家族鑑定のこと(其の3)
いっけん穏やかでしっかりと社会生活を営んでいる方々から、肉体的な虐待、精神的な虐待、無関心、過干渉など、その方が子供の頃から育った環境にまつわるぎょっとするようなお話がでてくることでてくること。
まだ無力で、親の庇護のもとでなければ生きていけない年齢の頃から、あまりにも理不尽(としか考えられない)な目にあってきたお話には、もちろんそれぞれにさまざまな背景があって、親は親で言い分があり、苦しみがあったかもしれません。
しかしながら、あまりにも理不尽な仕打ちや過酷な環境が、子供自身の「自分は自分。これでOK」「そのまんまそこにいていい」といった基本的な自己肯定感をどれだけ損うことか。驚きのあまり、言葉を失うことが何度もありました。(以下リンク先につづく)
2017年2月27日「ご家族鑑定のこと(其の4)
いろいろあります。死、難病、介護、精神疾患、差別、事故、障害、犯罪、虐待、暴力、貧困など。この世にはどうしようもない悪と呼ぶしかないなにかがあるのだと、自分にできることはなにもないのだと、つくづくと思い知らされます。
しかしその中でも生きている、生きていること。尊厳とか。敬意とか。それでも生きている。そうしたことへの希望や熱望。なんとかしたいと願い、行動する人の心に打たれることとか。そうしたもの抜きにしては、とても仕事はできない。(以下リンク先につづく)
2018年7月1日「2018夏・ご家族鑑定のこと」
わたしがたかが占いごときでできることなんかないんじゃないか?となんども思いました。それでもひとりひとり命式を出して、それぞれの立場と特徴と、その人があるべき(そうあるといちばんいいであろう)姿を描き出し、登場人物のみなさんがそこからいかにズレているか(これを陰転とよぶ)をひとつひとつ書き出しました。あとは必死に時期を読んだ。それはカウンセリングにはできない、占いにしかできないことだと考えました。さらに星蘭先生が、もともと占いを学んでいらして、もともととても聡明で理解力の高い方だったことも幸いでした。(以下リンク先につづく)
家族とは、別に無条件に素晴らしい愛に溢れたものであるはずないと確信しています。自分で選べない濃すぎる関係性は、かけがえのない幸せもどうしようもない不幸の可能性も、どちらも同じようにはらむでしょう。
無条件に「家族」を美化&賛美しろ!と強制されることに、わたしは心から反対します。
それぞれが協力しあって、よいよい環境やより良い関係を作り上げていける世の中でありますように。