前回のつづきです。1/14「天中殺の過ごし方」レポ第一弾はこちら。
1/14「天中殺の過ごし方〜申酉から戌亥へ」講座レポ https://t.co/Ql1D8TDoen 前代未聞?!戌亥さんだらけの天中殺講座、ありがとうございました。さっそくご感想お寄せくださった竹田千佳さんにも心より御礼申し上げます。@paruru_ucho
— 天海 玉紀 (@tamaki_deluxe) 2018年1月15日
そしてなんと実は、第一回目にもご参加くださった暁さんが、今回は特別オブザーバーとしてご参加くださいました。お忙しい中を二度のご参加、まことにありがとうございました!
ぜひレポ書いてくださいね〜♪という無言の圧力、じゃなくって、そのまんまどストレートの私からのラブコールに応えてくださって、これまたありがとうございます!みなさまぜひぜひご覧くださいませ。
いぬいがいっぱい!~「天中殺の過ごし方~申酉から戌亥」講座レポート(1/14 ウラナイトナカイ) – ほしよみ練習帳 https://t.co/UGRP9UcFhF 講座レポの名手、暁さんが、講座全体の流れとご自身の感想をバランスよく散りばめ、玉堂星らしい端正な仕上がりで語ってくださいます☆
— 天海 玉紀 (@tamaki_deluxe) 2018年1月16日
「じゃ、わたしはこれで!」というくらい、びしっとまとめてくださってます。わたしの出番はないな。うん。それじゃー帰る。おやすみなさい!
「いぬいがいっぱい!〜「天中殺の過ごし方〜申酉から戌亥」講座レポート(暁さん)→★
はい。きっと誰が読んでもきっとわかりやすいこのようなレポを書くのは、とても高度な職人技です。ご関心おもちのみなさまは、いちどチャレンジしてみるといいとおもいますよ!難しいから!
全体の流れをしっかりとらえて冷静に客観的で、かといって他人事のようによそよそしいわけではなく、なおかつご自身の心の動きや感じたことも丁寧に織り込んで下さっている技からは、暁さんの玉堂星の冷静さと丁寧さ、さらに隠し持っているサービス精神の星たちの味わいがじんわりと伝わってきます。
いつも丁寧なレポ、ほんとうにありがとうございます。暁さんのブログは、ますます読み応えバージョンアップされているので、これからも楽しみにしています!
21日チームのみなさまは戌亥だけじゃなく混合チームですよ。それぞれの違いをたのしんでいきましょう☆ どうぞよろしくお願いいたします!
ちなみに、この日お越し下さったみなさまの生まれ日は、乙丑・丙寅・戊辰・己巳・辛未・壬申(おふたり)でした。いちじは「もしかして戌亥の生まれ十干全員揃うかも?!」とおもいましたが、それはまたいつかの夢としてとっておきましょう!
いちおう解説。六十干支(六十花甲子)は、十干と十二支の組みわせでできています。トップバッターの1番から10番までが戌亥天中殺生まれです。
01 甲子
02 乙丑
03 丙寅
04 丁卯
05 戊辰
06 己巳
07 庚午
08 辛未
09 壬申
10 癸酉
○戌
○亥
十と十二を組み合わせるので、最後に2つの支があまるんですね。それで思い出した☆
西洋占星術がご専門の先生方と話していたら「水瓶と魚(または11ハウスと12ハウス)は天中殺みたいなもんだよね」といったことを、違った先生方がそれぞれにおっしゃるのを何度か聞いたことがあります。あー!それ御慧眼!とおもいましたです。
1番牡羊からはじまった人生の旅は、天頂10番山羊で頂点に達します。ここが社会的な最高点であり、成功ポジション。そのあとの11番と12番は、社会的な成功の頂点からはもう外れていきます。10番まで、社会の中にしっかり組み込まれていた時には見えなかったことや、できなかったことに取り組んでいく場所あり、時期が、11と12だから、それって天中殺みたいなものじゃない?!と。
そりゃあ確かに、社会的な枠組みの中での評価や成功だけを追い求めるなら、そこから外れていく11や12の価値観はまったく理解されないし「よくない」ものとしてみなされるでしょう。まぁでも、そうやって想定外、枠外ともやりとしして、未知のエネルギーも取り入れて循環させないと、枠の中の既存のリソースだけでは、いのちは硬直化してあっというまに死んでいくのではないかな。とわたしはおもいます。(そうです。わたしは11と12に大量に天体がある)
それにしても「天中殺?!アンタ死ぬわよ?!怖い?!」というのはちょっと短絡的すぎますよな。「だいじょうぶ。みんないつか死ぬ!」と私はいつも言います。枠外は想定外のことはいろいろあるけれど、必ずしもそれが全部悪い、わけではないですね。
暁さんが書いてくださった通り、この日は東洋的な世界観とか価値観の話も少ししました。この話は、今度の「土性講座」にもつながるのですが、伝統的な東洋占にはいかにこの現世を豊かに安定したものとして生きるか、という価値観がびっちり裏打ちされています。それをどう考えるか、どう捉えるか、自分自身はどう選んでいくか、そのあたりも今年はもう少し掘り下げてあちこちでお話していく機会があればと思います。