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20220610 諸行無常の川

メンバーが持ち回りで毎朝欠かさず更新しているウラナイ8記事で、先日は「さそり」の話がでていました。

翡翠先生は、仏教の「さそりとかえる」の話から。「ダルマを変えることはできず、一生を共にするしかありません」

あんこ先生は「何がなんでもどうしても欲しかった」というご自身のお話から。〜若くて柔らかい時期に覚えた「欠乏感」「飢餓感」というのは、ものすごく強いのです。

「ものすごく理不尽で馬鹿馬鹿しいことだと頭ではわかっているんけど、なぜかどうしてもそうせずにはいられない」という理屈ではない強い衝動や「何度も同じ失敗をして、毎回これっきりにする!と反省するのに、また気がつくといつも同じように良くないパターンを繰り返してしまうんだ」という後悔は、意識していてもしていなくても、多かれ少なかれ誰の中にもあるでしょう。

他人の内情に深くコミットする仕事をしていると「なかなか人には話せないんだけど……」というお話を頻繁に伺うことになります。

その中でも、生まれ育ってきた環境の話は、その最たるものでしょう。最初はそもそも、生まれてくる環境は自分では選べません。大人になれば、環境を選ぶ自由もできるけれど、もう自分で選べる立派な大人になっていても、過酷な環境に留まっている人もいます。

「うちの親族は●●な人が多くて」とか「親族に◯◯だった人がいて」と認識してうまく距離感を取れるならまだしも、「あいつのようにだけはなりたくない」と憎めば憎むほど憎む相手に似てしまう人もいます。自分は全然悪くない、全部相手が悪い!と、ぜんぶ相手に悪を丸投げしてしてしまう人もいます。(具体例を出すのはやめておきます)

だいたいなにか「過剰」なところに鍵があります。多すぎる少なすぎる。光と影は裏表の双子のようなものです。

人の話を聞くためには、その「過剰」な力に近づきつつも巻き込まれすぎないように、聞き手にも慎重な距離感が必要です。タイミングや条件が整っていないときに外から手を出してなにかしすぎようとしないほうがいい(おせっかいでないほうがいい)場合は多々あります。

だいたい占いしすぎてうまくいかない場合は、占いの技術とかいうそれ以前に、相手の抱える問題との距離感がうまく作動しなくなってるケースが多いようにおもいます。

そもそもこの世界には「どうにもならないこと」とか「悪」ってものも存在するんだよねってあたりを、自分でもいろいろ痛い目にあったりして、よくよく認識している必要はあるかもしれません。

自分が見たいようにしか、世界は見えてこない。

例えば、いきなり急激に親しげに距離を詰めて近寄ってくる人は、ちょっとしたきっかけで、急に手のひらを返して悪態を付いて去っていきますよね。あれはどこにいってもわざと悪意でやってるのかな?と、最初は不思議だったのですが、どこに行ってもたぶんそうやって繰り返し続けているのだろうと気づきました。前の占い師の悪口を聞かされるときは、次にどこかで自分の悪口を言われるのだと思っておけば、まぁそれも料金のうちで仕方ないかなと思えます。こちらが提示している条件外のことを(かなり踏み越えた条件で)要望されるときも要注意ですね。どこまでが許容されるのかを測られているのだと察知します。だいたいいいことなにもない。

おそらく、その人の中にあるなんらかの理想らしきものを、誰かそれにちょっと近そうなターゲットを見つけて投影してしまうのでありましょう。脳内劇場。その人が脳内で自作自演する映画の登場人物に、こちらは勝手に起用されて、勝手にがっかりされて、勝手に悪評を投げつけられるようなものです。(特に人気商売の芸能人さんたちは、そういうターゲットになるのが仕事。そうやってたくさんの人に幻影を見せるプロの人たちです。すごい)

自分の中にあるなにかが、自動運転で勝手にエンドレスで見せている幻影から出ることは可能なのでしょうか?同じ幻影でも、なにものかに自動的に見させられる夢よりは、たとえ最初はしょぼくても素朴な手作りでも、少なくとも自分が監督として制作する幻影をみるほうがずっとマシです。わたしは。

「さそり」というと、わたしはこの話を思い出します。

「蝎の火ってなんだい。」ジョバンニがききました。
「蝎がやけて死んだのよ。その火がいまでも燃えてるってあたし何べんもお父さんから聴いたわ。」
「蝎って、虫だろう。」
「ええ、蝎は虫よ。だけどいい虫だわ。」

「むかしのバルドラの野原に一ぴきの蝎がいて小さな虫やなんか殺してたべて生きていたんですって。するとある日いたちにみつかって食べられそうになったんですって。さそりは一生けん命、遁げて遁げたけどとうとういたちに押えられそうになったわ、そのときいきなり前に井戸があってその中に落ちてしまったわ、もうどうしてもあがられないでさそりは溺れはじめたのよ。そのときさそりは斯う云ってお祈りしたというの

ああ、わたしはいままでいくつのものの命をとったかわからない、そしてその私がこんどいたちにとられようとしたときはあんなに一生けん命にげた。それでもとうとうこんなになってしまった。ああなんにもあてにならない。どうしてわたしはわたしのからだをだまっていたちにくれてやらなかったろう。そしたらいたちも一日生きのびたろうに。どうか神さま。私の心をごらん下さい。こんなにむなしく命をすてずどうかこの次にはまことのみんなの幸いのために私のからだをおつかい下さい。って云ったというの。そしたらいつか蝎はじぶんのからだがまっ赤なうつくしい火になって燃えてよるのやみを照らしているのを見たって」

宮沢賢治『銀河鉄道の夜』

『よだかの星』に通じるものがありますね。

なんだかんだで「オンラインでよかったね」というケースがたくさんありますし、現在は自宅+わかりにくい立地のため、表立ってお知らせしていませんが、対面のご依頼はときどき承っています。

基本的にはこれまでに方南町にいらしたことのあるリピーターさん(女性希望)+住所が分かればあとはスマホの地図見ればOKだよ!という方を希望します。最寄駅は東京メトロ方南町(徒歩10-15分程度)or 京王線笹塚・代田橋(徒歩20分程度)です。常時OKではないので、気になる方はまずお問い合わせください。

読み直してないけど、このまま出しちゃおう。えいっ。