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オリジナルに触れる

わたしが大学生の頃には、まだインターネットは世の中に普及しておらず、単位取得のために授業のレポートを作成するときは、「図書館に行ってテーマの関連書籍・解説書を探す→要点とおぼしきページを見つける→ コピーして家に持って帰ってワープロに入力する or その場で手書きで書き写す」という手順を踏みました。(あななつかしや…)

いまはどうなんでしょうね?コピペ発見ソフトとかあるようですけど、基本はインターネットで検索、そのままコピペ。いくつか切り貼りしてそれっぽく形成、といったかんじなんでしょうか?(いいなぁ〜楽チンだね♪←違!?)

あるとき、社会学(だったとおもう)の教授が、こんな宿題を出しました。「翻訳でもいいので、原典を読んでそこからそのまま感想や考察を書きなさい。解説本のコピーはすぐにこちらにはわかります。その場合にはいっさい得点を与えません」 みたいな。テーマは誰だったかなー…外国の哲学者だったか社会学者だったか、なんかその手の思想家ですよ。(おぼえてない…ひどい…orz)

えーーーー… まじかよーーー… (そんなこといっても、どうせコピーでばれないって!)教室中に静かな動揺とため息が広がりました。。。

その後わたしがまっさきに取り掛かった作業は、見開き2ページくらいで完結する簡潔な(シャレではない)論文を探すことでした。あった!!!これならなんとか途中で寝ずに、挫折せずに読み切れる!!!(それでも結構辛かった記憶が…でもおもしろかったのは確かです☆)そんなわけで、おかげさまで、ちゃんとその授業の単位はもらえました。よかったよかった。

いやーーーー… 要するに何が言いたいかって、「少々難しくても、なるべくオリジナル資料を参照する」ってだいじだよね、ってことです。そりゃーーー翻訳も通さずに読めれば最高ですし、本職の研究者さん方は当然のようにそういうことをなさるわけなので、すごいよ。さすがは職人だ。

我々のような一般人はとてもじゃないけど、古代なんちゃら語とか、漢文、古文の原典には歯が立たなくても、平易な英語の書籍くらいだったら、翻訳だとチンプンカンプンでも、原語だと意外にシンプルで頭に入ってくる、みたいなこともしょっちゅうあるわけです。

あとはーーー…個人的には、どんなに立派なこと書いて発表してるひとであっても、リアルの本人の存在感に好感がもてないと(別に好みのタイプとかじゃなくっていいんです。不快感を覚えるとダメだな…)それっきりそのひとの言ってることが信用できなくなる…www だいたい書くものにはその人の人となりが反映されてるとは思いますけど、やっぱり公になってるものだとわかりにくい。

とまぁざっとそんなことを最近考えています。

とか言いながら、たいへん逆説的なのですが、腕のいい解説者による入門書というのが、わたしはなにより大好物です。(おそらく自分がそうありたい、と思うので、見習いたい、技術を盗みたいのだろうなー)

ここのところ、最もおもしろかった解説書は、これ。

エラい人にはウソがある ―論語好きの孔子知らず 単行本(ソフトカバー) – 2015/10/7
パオロ・マッツァリーノ

これはほんとーーーに痛快な本です。おもしろい。世の中に流通している印象や思い込み、というのがどれだけいいかげんかを鋭く突っ込んで、不可解な部分を容赦なく切り開いていきます。

孔子?論語?ほんとーにそんなにごたいそうでエライの?孔子ってもともとは、就職浪人で言い訳の天才で、社会的には今時でいうところの負け犬のダメダメなおっさんだったんでしょ?誰がそうやって孔子を祀りあげて「聖人君子」に仕立てたの?どうして?おかしいじゃん。

みたいな話が山盛り満載です。レビューは近いうちにぜひまとめますね。