【vol.1】ウラナイ8 ができるまで – 3月23日の巻

2019年3月23日、土曜日。朝から雨が降っていました。
珍しく横浜の桜木町で開催された、翡翠輝子先生の易の練習会に向かっていました。

ずっと毎週金曜夜が当番だったわたしは、前日は夜遅くまでウラナイトナカイのお店に座っていて、その日も夕方から自分の講座の予定があって、あれもこれもたくさん!たくさん!急げ!急げ!頭も心もパンパンに膨れ上がっていました。

さらにその前日?前々日?には、南阿佐ヶ谷ウラナイトナカイ(占いのお店)が7月に閉店することが公に発表されたばかりでした。(春分の日に情報公開!って決まっていた)わたしたちスタッフにとっては「いよいよこの日が来たか」というかんじだったけれど、お客様方にとっては突然の衝撃のニュースだったでしょう。どこからも、あちこちから、ざわざわと心が揺れる気配がたくさん漂っている頃でした。

まだまだこんなに寒いっていうのに、7月のことなんてまだぜんぜん考えられないよ!という気持ちと、いよいよいつか来るべき「その時」がやってきた!と、ドキドキする気持ちとがありました。

そう。あの日の読み会では、「ともみんさんの名字なにがいい?」って占ったことはよく覚えています。他の参加者さんたちのお題もよく思い出せるんだけど、あのときわたしは何をサンプルのお題に出したんだっけ?ぜんぜん思い出せないや。とにかく、わたしの頭の中はその日どうしても欠かせない、だいじなことでいっぱいだったのです。

その頃ちょうど、翡翠輝子先生は3年間の超!激務の日本語教師キャリアを卒業されたばかりでした。これからのことはきっとまだ決まっていないはず。千載一遇のチャンス!いましかない!そんな気持ちいっぱいで、私はこの日の読み会に参加していたのです。

読み会は和やかに楽しく終了して、会場のビルの1Fにあったお寿司屋さんへランチに行きました。てるこ先生、あんこ先生、ともみん先生とわたしの4人でした。うん。でもあのとき、自分がこの話を最初にどうやって切り出して、何をどうやって話したのか、まったく記憶がありません。

おそらくこの日に限らず、ウラナイ8 のメンバーはみんな「いきなり、たまちゃんがものすごいテンションで熱烈に口説いてきたので、びっくりして、なんだかよくわかんないけど、とりあえず頷いた」んじゃないかと思っています。(みんな、びっくりさせてゴメンね!)

たとえばあのとき、ともみん先生は「おもしろそうだけど、わたし占い師じゃないよ」って遠慮するところを、すかさず「いいのいいの。だいじょぶだいじょぶ。占いだけより、東洋医学エキスパートがいてくれたら最高に心強いから!よろしくね♪」って、目ヂカラでぐぐっとひたすらお願いしまくったんでした。(わたしGJ!)

そう。そのときのお寿司屋さんでの記憶は「グループには名前が必要ね。じゃあ、最初に名前をつけましょう」って、てるこ先生から提案があって、それでみんなでああでもないこうでもないって、笑いながらアイデアを出し合ったことばかりです。動物の名前?色の名前?なかなかピンとくるものはなくて。でももしかしたら、こうやってなんかおもしろいこと本当に実現するんじゃないかな、って、予感がちょっと現実に近づいたような。

帰り道の東横線の中では、てるこ先生が「このまえ『翔んで埼玉』を横浜で観たのは失敗だったわ…」なんて話をするから、いっしょにゲラゲラ笑っていました。「それはミスチョイス!わたしは埼玉人の憧れの都、池袋で観たらサイコーでしたよ♪」なーんて。たのしかった。それまでずーっとお互い忙しすぎて、ぜんぜん会うどころか連絡もできなかったんだけど、久しぶりのブランクをぜんぜん感じることもなく、あれこれ話してわいわい盛り上がって、とても嬉しかった。

それまでに杏子先生には少しだけ話していたものの、ほぼすべてわたしの脳内妄想でしかなかったぼんやりとした大きな夢や希望が、この日初めて言葉になって届けられて、受け取られた、記念すべき日でした。忘れない。

つづく。

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