昨年からあちこちのメディアで話題になっているのが、ヨシダナギさんという女性写真家のお話です。アフリカの少数民族に憧れて、アフリカが好きで好きで、アフリカの少数民族と「同じ格好」になっての撮影活動をなさっているとのこと。 “最初は普通にアフリカ人のポートレートを撮っていたのですが、それだけだと沢山の人に見てもらえないんですよ。「いい表情してるね」って言われるくらいで。一緒に裸になって撮った後の写真はやはり彼らの率先した協力や私への共感のある写真なので、迫力が違うんです” だそうです。わお!すごい!※参考記事URL「パンツまで脱いだら歓迎の舞が始まった 裸でアフリカ民族を撮り続ける女性写真家が伝えたいこと」→★ (すごくおもしろいのでご覧になったことのない方はぜひ!)
この話を読んで、まっさきに思い出したエピソードがあります。わたしは、中野トナカイ時代に武者江梨先生の東洋占術クラス1期卒業生ですが、あのクラスでは全員の前で行う模擬鑑定の時間がしょっちゅうあって、とことん鍛え抜かれました。そのクラスであるとき、武者先生がこんなことをおっしゃいました。「鑑定をする側は、裸になって勝負するんです。だから、鑑定を受ける側だって、裸になって本音でぶつからないと!」と。鑑定を受ける側の人が、お上品に恥ずかしがってばかりいたので、なかなか会話も鑑定自体も展開しない中、そんなお話になったのです。あのときの武者先生、惚れ惚れするくらいカッコよかったなー♪ と、いまでもときどき思い出すと初心に戻れます。
そう。タロットでも易でも、なんでもそうでしょう?軽い気持ちで引けば、その気持ちにみあった軽い答えが出てくるし、真剣にぎりぎりまで煮詰めた問いを投げかければ、それにみあった答えが出てくるではありませんか。なんでも、本気で身を投じて、本気で挑戦した者にしかわからないことって、たくさんあるでしょう? 自分から思い切ってドアをノックしたり、関わっていったり、ぶつかっていくと、難しい障害がでてきたり、たいへんなことがあるかもしれない。でも、だからこそ、なにかあたらしい展開や打開策が見つかったり、思いがけない助けや可能性にも出会えるかもしれません。もちろん挑戦したら、必ずしもすぐになんでも思い通りになるわけじゃないです。だが、それがいいんじゃないか。
だけど、そもそもなにもリスクは負いたくないし、努力するのもめんどくさいこともいや、だからなーんとなく座ってぼーっと口開けて待っています、ってのもありです。それだと、なにも降って来なそうですけど。もしかして空からなにか降ってきたとしても、まぁそれ相応の程度のものなんじゃないかとおもいます。もちろんそのほうが安全安心かもですしね。
そんなわけで、裸パワーについてしばしば考えます。いつもいつも裸でいるのはたいへんだし危ないので、安全に裸になれる時間や場所を確保したり、いまだ!ここぞ!というときにはいつでも脱いで活動できるように、常に万全に鍛えておきたいです。ええ。最近とみにわたしはお腹がぼよんぼよんしてきまして、物理的に脱ぐとみなさんにご迷惑ですから、これは心の裸、ってことでヨロシクです☆(天海玉紀)