1996年のお正月は、ニュージーランド南島の湖水リゾート地クイーンズタウンにいました。大晦日は夜中遅くまでアルバイト先の鉄板焼き料理屋で、ポリエステルのなんちゃって着物のようなものを着て草履で店内を走り回って足が棒のようにパンパンになって、お酒を底なしに飲みまくるお客さんたちにサーブしまくりで愛想振りまきまくりで心底へなへなの年越しだったような気がします。
南半球のお正月は夏。真っ青な抜けるような空と澄んだ湖を見下ろす、カラりと晴れ渡った暑い夏のお正月。みんなTシャツ短パン姿で、なんだか張り切って作ったなんちゃってお雑煮(のようなもの)を、みんなでんまいんまい♪と食べたことだけはよく覚えています。(いまはもう南半球の話題になるたびに「南半球生まれの人も干支暦で占って当たるんだろうか?季節が逆だと干支の象意はどうなるんだろう?」なんてことばかり考えてしまう悲しい職業病…いや、これはいつか検証したい…)
ちょうどそのころ、町の片隅にあった小さな本屋でみつけた「TAROT」の解説書とカードデッキを買いました。小学生の頃から愛用していたタロットカードは、大学受験をする時にぜんぶ捨てて「オカルトはやめるの」と言っていたはずなのに。そのときはふらふらと、ついつい買ってしまったのです。ライダー版のタロットカードに触るのは、そのときがはじめてでした。なんかずいぶん眩しく黄色い箱だなー。ぜんぜん神秘的じゃないなーと思いました。
それからは毎日毎日カードをえんえんと一枚一枚眺めて、解説書とくびっぴきで何度も何度もまぜまぜしては自分で適当に引いたり、周りの人を占ってみたり、ああでもない、こうでもないと、延々と時間をかけて試運転を続けたあげく、ある日思い切ってカードに聞いてみました。「私はこれから日本に帰ります。でも、帰ってもなにをしていいのかわからない。だからといってずっとここにはいられない。どうしよう。わたしはどうしたらいいですか」と。
そのときのスプレッドも、出たカードがどんなだったもぜんぶ忘れてしまったけど、ひとつだけ覚えているのはこれです。最後に「節制」が出たんです。このカードを眺めていたら「あーそーなんだー。なんか調整すればいいのね。だったら治療師になればいいのか」と思ったのです。でも結局そのあと、ニュージーランドから帰ってきて、毎日やってたことはふらふらと未来の展望も希望もみえないまま、超安い待遇でテキトーにお勤めしてふらふらしていただけでございます。「将来は治療家になる」って言っても、誰も耳を貸してくれず、誰も信じてくれなかったです。「早くお嫁さんにならないとね」としか周りには言われず「はいはい。ばっかじゃねーの」と心で毒づいていた暗黒大陸の時代です。
でもって、そのあと何年も何年も長い時間と労力を大量に使って、ようやく治療家らしきものになるんですが、もともとのそのきっかけは、あのころ自分で引いたタロットカードでした。ということを「節制」のカードをみると、ときどき思い出します。切羽詰まってる時に、真剣に聞くとちゃんと占いも役に立つんですよね。ええ。そんなこともありましたとさ。ちゃんちゃん。という実体験に基づく実例です。
いまさら暦を繰ってみたら、1996年は丙子の年でした。わたしは丙子の日生まれなので、1996年は自分の干支と同じ干支がまわる年で、自分自身の在り方をしっかり再確認すべきときだった、ということでもあります。はい。そうでしたか。そうですか。そのときはなんのことやらまったくわからなくても、長い長い時間を経て振り返ると「意外と当たってたし良かったじゃん」と思うこともあるんですよね、というお正月の思い出でもあります。2018年もどうぞよろしくお願いいたします。(天海玉紀)