ご予約・お問い合わせ

《再録》二つの誕生日

<2011年2月7日記> →★

先日拝見した女性の手は、とても個性的でした。

左手(先天的要素/内面世界)は、とても長ーい知能線が手首に向かって下がっているのがとても特徴的。知能線の長さは、その人が考える時間の長さ、とも言われます。短ければ、きっぱりと即断即決型。長ければ、あれこれといろいろと考え抜く思索型。直線的なら、そのとおりまっすぐな考え方。カーブしていれば、柔軟な考え方。知能線の形は、そのままその人の考え方のスタイルを示します。

確かに、彼女は慎重すぎるほどに思慮深い方であるようにお見受けします。ついつい考えすぎてしまって苦しくなる、とご自分でもおっしゃっていました。

しかし、右手はくっきりはっきり!とても見事なじゃじゃ馬さんの手でした。生命線と知能線の起点は、たぶん1cm近く離れているでしょう。あれこれ考える前に、ぱっ!と行動する。これがこの手の人たちの特徴です。

こうお尋ねしてみました。

「思いっきりチャレンジしたりなんかしないんでしょうか?たまには?」
「憧れます。そういうのに。」

あらま。

「憧れる?そう?ご自分の中にすでにそういう面がおありなのでは?」
「えええーーー???」
どうやらご自分ではまったくピンと来ないとおっしゃいます。

さて。どうしようかな。お誕生日を伺って、出生時のチャートを拝見させて頂きました。すると、戸籍上のお誕生日と、実際のお誕生日が違う、とのこと。なるほど。ときどきありますね。そういうケースが。2つのお誕生日でのチャートをそれぞれ出してみました。

ひとつめ。戸籍上のお誕生日のチャート。とてもとても責任感が強く、慎重で真面目な雰囲気が溢れています。(太陽土星の合が目立ちます。他もトラインとセクスタイルのみ)

お話を伺っていると、これまでの彼女は実直で安定した人格で、安定した常識的なルートを歩み堅実な人生をずっと過ごしてきたそうで、それはおそらくこのチャートから読み取れる雰囲気と一致するようです。

戸籍上とはいえ、長く誕生日として使っているとその資質は、だんだんその人のものになってくると聞いたことがありますが、それは確かなことだろうとこのとき確信しました。そもそも本来のお誕生日が不明のケースだってあります。戸籍上のお誕生日は、その方が書類に記入し、正式に社会の中で通用しているわけなので、戸籍の誕生日もその方の特徴を表す、とわたしは解釈しています。

ふたつめ。実際のお誕生日のチャート。とてもとてもダイナミックで挑戦あるのみ!みたいな雰囲気です。(活動宮のおひつじ太陽と木星、火星のTスクエアがばばーんと目立ちます)おおー!派手。むっちゃカッコいいなぁ~~~。と歓声をあげる私 (ハード好み♪)

先に手を拝見していたから、きっと全然正反対の違った要素が彼女の中にはあるだろうと予測していたものの、あまりにわかりやすくてはっきりした見事な符号にちょっと驚きました。

戸籍の誕生日は、親御さんがよかれと思って変更したものだそうです。そして、その日の特徴はずっと長く彼女の性格に反映されていたけど、おそらく本来の彼女の性格は、本当の誕生日のチャートに表れているおおらかで冒険的な、未来志向のチャレンジングな性質なのでは?と想像しました。

それでも手を先に見ていたから、迷いなくこう思いました。堅実さもおおらかさも、どっちも彼女の顔なのですね。全然正反対の要素が、お一人の中に見事に存在しているのですね。


「いかがでしょう?これまでどおりに、真面目で慎重な私。本来だったらそうであっただろうやんちゃでダイナミックな私。どちらを生きられてもいいと思うんです。どっちもご自身の中にあるんだから。両方をスイッチで切り替えたっていいんだし。慣れますよ。大変だと感じるかもしれないけど、まったく違った要素を自分の意志で選べる、ってのはある意味、羨ましいような気もしますよ。私は」

そんなふうにお話ししました。なんだかちょっと不思議ですね。とても個性的でステキな手とチャート、見せて下さったこと感謝しています。

慣れるまではちょっと不安で、大変なこともあるかもしれないけど、新しい決断とチャレンジが、必ずや勢い良くより明るく楽しい方向へと進んで行くであろうこと、陰ながら応援しています!

… と、ここまでの下書き↑ をお送りしたら、こんなご返信を頂きました。
さっそくありがとうございました。

> もうひとりの自分が私の「こうありたい」姿であったことに
> 驚きと深い喜びを覚えました。
> 頭でっかちに考えすぎて生真面目、臆病な自分だけでなく、
> ダイナミックでじゃじゃ馬な自分で生きてみようかと、
> 今朝起きた時に心が変化していることに気付きました。

わおー!素敵。新しい挑戦が、力強く進みますことを心よりお祈りします!


追記
<別ブログの記事より・お二人目の例が二つの誕生日のかた>

例えば。こんな方がいらっしゃった。とても立派なお母様に厳格に育てられたんですって。
「私なんか全然まだまだダメなんです。全然ダメ」みたいなこと、繰り返し繰り返しおっしゃる。そんなことない。客観的に見たら、とてもほがらかで、自然体で、素直で、しなやかで魅力的な女性だ。

もしかすると、その姿は、お母様が思い描く理想の型とは少し違うのかもしれない。お母様はだいぶそのことを気にしているらしい。だけど、その方はまぎれも無くステキな女性で、ご自分を責めて、ご病気になる理由なんかひとつも見当たらない。

お母様の理想にあわせようと、本来の自分を曲げて、身体を硬くして、ご自分の伸びやかさを押さえつけていたら、きっと苦しいだろう。そう思いながら、私は身体を触る。本来のご自分らしさを取り戻せたら、身体は必ず元気になる。

そうやって、週1回とか、2週に1回とか、根気よくご自分の身体と心を大切にして向き合ってもらってると、なんとなーく、だんだん元気になってくる。不思議と。

そのうち、その方はお母様とのこと、いろいろご自分で振り返って、いろいろとご自分の気持ちや行動を変えて行かれた。それまで何十年も積み重なった関係は簡単には動かないけれど、
お母様はお母様。ご自分はご自分。そんなシンプルなことを実感して、適切な距離が取れたら、ずいぶん気持ちは楽になるみたい。

私はただ、身体を触りながら、その過程をずっと伺っていた。

そのうち、最初ちょっと硬かった表情が柔らかく生き生きしてきて、気になって気になって仕方なかった症状のことがだんだん気にならなくなって、趣味の腕前もぐんぐん上がって、ますますお美しく☆それはたぶん、その方本来の姿になってるだけだと思うけどね。

よかった。すごいなー。人間ってすごい。見ていて本当に嬉しい!

*** *** ***

例えば。その方はここに初めておいでになったときは、ほとんどパニックみたいな状態になっていた。「こんな病気になってしまったら、もう私の人生はおしまい。人の世話になるなんて耐えられない。どうしたらいいの?」そんな感じだった。いやぁーーー。そんなことはないよ。まだまだ大丈夫。って、言いたかったけど、絶望しきってる人にそんなこと言うのは火に油を注ぐようなもので、ぜんぜん意味がない。

つらいよね。たいへんだよね。だけどだいじょうぶ。だって、なんとかしようと思ってここまで訪ねてきたんだし、ご自分のためになんとか行動しようとしてるじゃない。だいじょうぶ。
そのとき私が言えるのはそのくらいのことしかないし、あとは丁寧に身体を触ることだけ。

不思議なんだけど、なんだかんだと言葉で言い含めようとするよりも、黙って身体を触っているほうが、こちらの気持ちは伝わったりする。だいじょうぶかな?きっとだいじょうぶ。そう思って、ただただ、それぞれの方の身体を丁寧に触るだけ。

数週間後に、もう一度その方がいらっしゃった。見違えるように、生き生きとした表情で、その間のことをお話してくださった。前向きに病気と向かい合いながら、これまでとは違った
気持ちで、新しくスタートなさっていることが伝わってきた。その間にはなんと、私のこのへたれなブログを読んで下さったって。

きずもの/きづくもの
http://tamayura10.exblog.jp/15349142/ ← これね。

「はっとしました。読んで、いろんなことに気がつきました」とおっしゃってくださった。ひゃー。ちょっと恥ずかしいんですけど、バックナンバーもくまなく読んで下さったそうで、恐縮する私でした。

こんな辺境で、私が自分の言いたいこと言ってるばっかりのブログでも、少しは人のお役に立てることがあるのかと、ちょっと驚いて、それでも嬉しかった。ちょっとでも元気の足しになったなら、書いてる甲斐もあるものです。ありがとうございました。

だいじょうぶ。新しい一歩はもう踏み出したのだし。意外と人間って丈夫にできてますから。だいじょうぶ。

***