こんどの月曜〜火曜と、再び三河にお邪魔して参ります。その名もなんと「中年期天将星の会」ですよ!お嬢さんっ。
なんとこの会、またの名を「前のめりに踊れ!天将星の会」というのだ。ひええーー。わたしも、みんなも、アタマだいじょぶか…www
<<<追記>>> 実際のレポはこちら!!!
というわけで、ゲストでお邪魔する私としては、どうもいまだに半信半疑…なんですが、算命学で言うところの「中年期に天将星」をお持ちの方々がずらっと12人お集まりになる、とのことでございます。それっていったいどーなってるの?!
この写真は、三河の三角由恵さんの「そらとうみ」のお座敷。当日には、この広ーいお部屋に、ずらーーーっと女傑が勢揃いして並ぶんですって?!えええ?どーなの、それ?!ありえなくない?!いや、この目で見るまで、みんなに会うまで、いまだにわたしには信じられん。ほんとに。
(全員の命式と「陽転アンケート」なる貴重な資料を拝見して、全員宛のメッセージカードをこってりと書いて持参するのですが、それでもなお、まだ信じられん!)
それどころか、なにせ年度始めの月曜だし、残念ながら行きたいけどお越しになれない!という方々が他にもたくさんいらっしゃるとのことで、それっていったいどーなってるの?!ますます驚愕…!!!
ということで、今回はなんと、選りすぐりの女将軍12名+参謀1名の方々に「算命学で観る天将星ってなにか」をオハナシする大役を仰せつかりました。さすがにキンチョーするな…喰われないかな…(爆
そんなわけで、いまいちど熱量高くみっしりと「十二従星」について、基礎の基礎から見直してまとめなおしています。この成果は、今後展開する「天地人算命学」に反映するのでどうぞお楽しみにです。4月に開催するプレ講座もどうぞよろしくね!
4/12, 4/21, 4/24「もっと知りたい算命学」⇒★
詳しいテクニカルな話は省略しますが、基本的に「天将星」とか「天禄星」みたいな強い星が目立つところ(中年期最強、次は老年期)にある人は、つまり、日干(自分)の根っこが強い命式のことであり、要するに「たいへん我が強い」生まれです。(またの名を「身強」という。体の強い弱いではなく、我が強いかどうか!)
「我の強さ」が良い方向に出れば、不屈の精神で超人的な力で働く。悪く出れば、人に歯向かい、人の話を聞かない。そればかりか、周囲を振り回して、まわりに迷惑をかけたり、自分が病気になったり、家が没落したりする。と、まぁそこまでもさんざんな言われようです。
いろいろ言われますけど、基本的に我が強すぎれば、この世で「普通」には生き辛い、と伝統的に解釈されるのはいたしかたない。それはそのとおりでしょう。
で、ですね、「天将星」ってブログに書くだけで、なぜか不思議なことに、どこからか天将星関係者のみなさまがわーっと現れるよくわからない現象は、不肖ワタクシ、何度も何度も体験済みです。「ブラックホール」とも呼ばれ、とにかくもの凄く引力が強い、と習う。良くも悪くもなんでも引き寄せる。(だからふだんはこのワードは意図して書かないようにしているのだ。きっぱり)
さらに、強い星=これは天将星に限らず、天禄星や、天南星もじゅうぶん射程圏内。←他人事じゃーないですよ。みなさん。ふふふ。我が強い星は陰転(ってつまり、これでいいのか…と悶々としてる状態)しやすいです。さらに、いろんなことが現実化しやすい。だから、人生であれこれ大きな出来事に巻き込まれたり、自分がやらかしたり、辛い目にあうことがたぶん多いです。
なので、もしこのブログにたまたま行き当たった「天将星」とか「天禄星」とか「天南星」をお持ちのみなさま、ぜひともそっとその胸に手を当てて聞いてみて下さい。(どれだかわかんないけど、なんか当てはまりそう?とおもう人もぜひどうぞ☆)
いまのあなたは、ご自身の力を存分に生かして、充実した日々を送っていらっしゃいますか?
私自身は、ずーーーっと10代〜20代〜30代の半ばまで、悶々としつづけてました。このままじゃダメだ、こんなんじゃダメだ、こんな人生ならもう死んだほうがマシだ、でも、でも、死んじゃダメだ。死んだら負けだ、かといってなにすれば?なにもできない。こんな風にいいように使い倒されるだけで、くたばりたくない。なにもしないまま死にたくない。なにもできない。したくない。どうでもいい。なんでわたしだけいつもこんな目に遭うの?なんでわたしだけいつもこんな貧乏くじばかりなの?意味ないじゃん。生きてる意味ないじゃん。もうどうにでもなれ、どうでもいいよって、ずーーーーっと悶々としていました。かといって、何かすれば失敗ばかり。バカにされ、反対され、足を引っ張られ、無視され、罵られ、ずいぶん苦い泥水をごくごく飲まされるような体験もたくさんありました。陰転、ってそういうかんじです。
おもいだすだけでも、苦しくて冷や汗が出る…
ばかだなぁ…(ぼそり
だからといって、他人の言うことなんか聞きやしないですよ。「我が強すぎる」と言われて、疎まれるのもいたしかたないことです。はっきりいって自意識過剰。内面の「こうあるはず」の自己評価が高すぎるので、現実がそれに見合わないことを嘆いて恨みがましく呪うのです。周囲を、環境を、時代を、なにもかもを。(だったら、高すぎる自己評価に見合う状態になれるように、死ぬほど努力しないと…)
はぁ… いますぐにでも、あのときの悶々とした気持ちに戻ることができます。「あー、もうなにもかもしんどいから放り出して逃げたい!」とおもうことはしょっちゅうあります。そのまんますべて放り出してボイコットして、そのままふとんでねていたい。どっかに逃走したい。陰転なんてあっというまです。ワンタッチで簡単だ。
でも、それだけじゃありません。「人生を陽転させる女ジョーカー」を名乗りつつ、私はこうも思う。人生なにごとも「陽」だけじゃダメだ!「陰」もあってこそバランスだ。「陽転」ばかりなんてありえない。「陰転」だって必要じゃないか。そうだろう?って。
いまも馬車馬のようにしゃかりきに目の前のタスクの山を見上げつつ、日々ひたすら働くばかりなのは、まだまだ陰転してた時とあんまり変わりません。でも、自分で選んで、自分で飛び込んだので、後悔は無い。というよりそもそも後悔しているヒマがありません。
いちばんの大敵はヒマ、なのでしょう。陰転してるときに、ヒマだと決定的にダメです。ヒマだとろくなこと考えない。(だからこそ病気になったりする。悪循環や!)とりあえず忙しくしとけ!とはいえます。(とはいえ、テキトーに休まないと死にますけどね。にっこり♪)
わたしがどれだけ陰転してたかは、語り尽くせない。(具体例を挙げるとキリが無い!)35歳くらいまで、全部陰転だ。ってことは、70まで生きてようやく半分。。。orz