最初に占いを学んだ時は、まったく新しい視点や切り口から物事を考える構造や視野、新しくとても役に立つ道具を手に入れたように感じて、とても嬉しくて新鮮な気持ちになりました。とはいえ、これも仕事としてみっちり続けていくと、なんでも無意識に占いフィルターを通して見ていることが増えてきて、そんな自分に愕然としたりもします。自分が「凝り固まった社会の常識や通念」から脱出したようなつもりでいても、結局のところ「星の運行」や「暦注」や「凶方位」や「偉い人の霊感」なんやらに右往左往して、なにか占いドグマのようなものを信奉して、その文化だけに全身がみっしり染まってしまうのもおかしな話です。わたしは占いを「信じる」のではなく「うまく使いこなしたい」のです。
確かに占いは面白いし、役立つ場面もいろいろあります。シンプルな当たる当たらないに止まらず、世界をみる切り口やフレームワーク(構造)でもあります。例えばわたしがよくお話する「五要素×陰陽=10パターン」で世界の仕組みを解読しようとするのは、古くから続く伝統的な世界観です。長い時代を生き抜いてきた思想なのでとても骨太で強力です。とはいえ、シンプルでわかりやすく強力なメソッドほど、影になって見えない繊細な部分も増えていきます。私は陰陽五行の面白さをずっと語りつづけることができますが、同時に「陰陽五行の世界観は封建的だ」から始まる悪口や批判もいくらでも言い続けられます。わたしは陰陽五行を「信じている」のではなく「強力なツール」だと考えています。
ときどきぜんぜん知らない世界にでかけていって鍛錬しないと自分が鈍ります。ということで先日から、主に医療現場で働く人たちと一緒に「あなたにとっての仕事とは?」というテーマでのインタビューのトレーニングを受けています。そこでは諸般の事情により「占い師」の顔は隠して「鍼灸師」として名乗っていますが、それでもじゅうぶんに異端です。練習の中で「なぜ代替医療を選んだのか?」ということを繰り返し聞かれました。これはふだんからよく聞かれることで慣れっこです。「自分が20歳で難病に罹った時にお世話になったので、自分もその道を選びました」というテンプレを自動的に繰り返すとウケがいいので、ふだんは何も考えずに自動的にその返事をしています。(それだと、正確度は6割くらかな。そこに至る過程は以前ここに書いた→★)それでも今回は真面目なトレーニングの場でもあるので、もうちょっと丁寧に答えてみました。
なんとまぁ、私の口からこんな言葉が出てきました。「わたしは西洋医学の正統的とされる病院や医療現場には、自分も家族もなんどもたいへんお世話になっていて感謝や敬意を抱いています。ただし、そうした正統的とされる医療の場からこぼれ落ちてしまう患者さんや、患者さんが傷ついたり行き場がなくなる場合がたくさんあることも知っています。正統的な医療現場への敵意などありません。わたし自身の立場や仕事は、期せずして正統的な表といわれるような場所や立場からはみだして、こぼれ落ちてしまうような方々やケースの受け皿として機能できればと考えています」ですってばよ。自分でもびっくりしました。(これ、あちこちからかき集めた占い用語をなんとか翻訳して、一般人にもふつうに伝わるようにがんばって置き換えて喋ってるだけじゃないか…)
ふだんから「自分にとって仕事とはなにか?」などと考えたことはありません。(そんなこといちいち立ち止まって考えるより手と足を動かしたほうが良かろう?)はっきりいって第一は収入のためです(大きくは稼げなくても、一生食いっぱぐれなそうなこと、を基準に選んだので、低収入に文句は言えない)第二には、自分にできそうなことをひたすら訓練していいたら結果的にこうなっている、としか言えません。自営になりたくてなったというより、それ以外に選択肢がなかったんだよ!ばたり。理不尽で大変なことは多くて、その中でもときどきいいこともあって、たまにいいことに出会うとそれがすごく嬉しい!ぜんぜんドラマチックでも喜びに溢れてるわけでもなんでもないですが、ただただ淡々と繰り返す良さもある、とおもっています。(いまのわたしを、若い時の血気盛んでアホな自分がみたら「退廃だ!」と怒り狂うだろう…)
そもそも適職、なんてものが自分のためにあるわけないとおもっています。与えられたものをそのまま受け取ってうまくいく、という方々は、かなり希少&貴重なケースでしょう。そのまま受け取る場合にも、楽して苦もなく、とは考えにくいですし、現実的に多くの場合は、最初からなるべく自分にあった環境を選ぶか、自分で環境を作るか、はたまた世の中とはそういうもんだと受け入れるか、自分にあった環境や動き方を見つけられたら御の字ではないでしょうか。わたしはよくネタにしますけど「車騎星はスポーツ選手、貫索星は保守管理の仕事、調舒星は芸術家、龍高星は運送業」とか、そんな分類はちゃんちゃらおかしい。職種そのものというより、その人がどんな環境でどんな動き方をしたいか、から現実と摺り合わせながら方向性を探っていくほうがよほど現実的な相談ではないでしょうか。
社会は、わたしたちそれぞれの「わかったつもり」が大量に集まってできている、と言われます。つまりわたしたちは世界のことを「わかったつもり」にならないと生きていけない。「なぜ学校に行かなきゃならないの?」「なぜ働かなきゃいけないの?」「なんでわたしは生まれたの?」「人はなぜ死ぬの?」なんて考えてばかりでは日常生活に支障をきたします。でもときどき「わたしはなんでこんなことしてるのかな?」「この作業っていったいなんのためなのかな?」「どうしたらもうちょっと居心地よく希望の状態に近づけるかな?」などと、ふと立ち止まって振り返ってみる機会を持つことも悪くないです。そんなときに、そんな方々にとってのちょっとした避難場所であったり、安全に自分を見つめ直すための居場所であったり、そういった形をこれからも自分は提供していきたいです。
なにをもっても、言うは易く行うは難し。失敗を恐れる脳内シュミレーションで「わかったつもり」だけではその先にはいけない。やってみないとわからないこともたくさんあります。(天海玉紀)