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2018/09/28 YOUは何しに占いへ?

33歳のとき、それまでの勤めを辞めて、ワンルームにベッド1台の小さな開業をスタートしました。ずっとブラック勤務にご奉仕&身内のディープなトラブル続きで心身はボロボロでしたが、働かないという選択肢もなく何も考えられず、まったくめでたくもなく、明るい見通しも夢も希望もなくスタートした開業でした。きちんと集客や宣伝にも取り組まず、そのとき同時に社会人向けの大学院コースに潜り込んだのですが、周りの同級生が究極に!あまりにも!超絶優秀な人たちばかりで、あまりにも劣等生でしかない自分の現実を突きつけられるばかりで、こんなことではダメだ。自分はいったいなにをやってるのだろう…と、毎日現実を呪って落ち込むばかりでした。といっても、他にできることも、したいこともない。体調は悪いし、技術も未熟だし、世間的な結婚出産にも興味がないし、誰にも会いたくないし、なにもかも未来の展望もなにもない。すべてうまくいかず、心がますますネガティブな悪のループにハマり込むのはこういうときです。わざわざ積極的に死ににいく気もないけれど、ぼんやりとこのまま生きていても仕方ない。生命の壮大な無駄遣いだと感じていました。

その頃のわたしは「占い?怪しい」としかおもえない一般人でしたが、人生があまりにどん詰まりなので「そうだ、占いでも行ってみようかな…」と思いつきました。(なるほど。そういうときに占いは必要とされるのか、といまさらながらに発見ですね☆)ちょうど2004 年の甲申年でしたから、そのときもし算命学の鑑定を受けていたなら「申酉天中殺生まれなのに、こんなときに開業するなんて!だからダメなのよ!」とコテンパンに怒られていたのかもしれません。しかし幸か不幸か、そのときには命術にまったく興味がありませんでした。初めて本格的な鑑定を受けるんだから、ちゃんとしたところに行こう、と思って、とても人気があって、予約がぜんぜん取れなくて大変な方のところで、手相を見てもらいました。お話は厳しくても優しい方で、勇気を出して行ってみてよかったと思いましたし、不思議な仕事ってこういうものなのかーという好奇心も満たされて面白かったです。

しかし、ただ漠然と行って、占ってもらったからといって、いきなり人生が変わるわけではありません。そう。その鑑定の後半でいきなり「あなたは、35歳で結婚するわね」と言われました。「え?」とテンション低いわたし。「あー。そうなんですかー。ぜんぜん興味も当てもないし、いまそれどころじゃないですが」としか答えられなくて、それまでの和気藹々とした雰囲気が一気に白けムードになってしまって、はっとしました。しまった…もしかして…ここは喜ばなきゃいけない重要な場面だったの?!と。「えっ?!ほんとですか?!やったぁ♪ 嬉しい!どんなお相手ですか?!」って言わなきゃいけない場面だったのか…と。密かに凹みました。いや、でもこれはわたしがあまりにも考えすぎですね。お客さんが占い師を喜ばせようとする必要はない。自分の好きなタイミングで、自分の好きなように反応していいとおもっています。

このように「あなたは2年後に結婚します」と占い師にばしっと断言されて、そこで素直に喜んで2年後に向けて具体的な行動を始める人は、きっと実際に「占ってもらったとおりに、ちょうど2年後に結婚できました♪」と喜びの報告をするのでしょう。こうした現象を「予祝(よしゅく)」と言います。願望や期待する結果をあらかじめ模擬的に表現しておくと、そのとおりの結果が得られるという、伝統的で呪術的ともいえる方法です。ちなみにわたしは、はじめてまつい店長に読み会でみてもらったとき「この人はそのうち大先生になるよ」と言われました。あれからもう10年。まだまだ大先生への道は遥か彼方に遠いですが、ふわふわとしたなにものでもなかったあの頃よりはずっと「先生」らしきものに近づいたように思います。予祝はまだ完成していない、とおもっておけばずーっとこの先も発展途上の自分を楽しむことができます。喜ばしい。

結局、わたしは最初にみてもらった占い師の予測した35歳になっても結婚しませんでした。でも、2006年=35歳のときはいろいろあって本当に辛い1年でしたので、もしそのときの言葉が「あなたは35歳に何かあるわ」という予測だったなら、ばっちり当たっています。そのときのわたしは、なにせただぼんやりと目的もなく、人生に飽いてうんざりして、なにか変わったことでも言ってもらえないかと思うだけで、ぼんやりと鑑定に行ったのです。35歳で確かに人生の流れは変わりました。

いまになってわかるのは、良き占い師はその人の資質や時期の流れなどをみながら、その人が体験しそうなことを予測して(よきことが起こり、望ましくないこともうまく立ち向かったり生かしたり避けていけるように)話しているのだということです。わたしいつも言いますが、占いとか運命の名を借りて「◎◎だから悪いことが起きる」ましてや「アンタ死ぬわよ」みたいな下品な言葉を人に向かって吐くのは絶対によろしくないです。きっと「アンタになんか言われなくてもいつかはみんな死ぬんだよ。無問題!」と即座に言い返してしまうであろうわたしです。この世界に理不尽としか言いようのない悪や闇はある。そんなことは占い師にわざわざ言われなくてもよく知っていますとも。口に出した言葉は形になるのだから、わざわざ人の不安を煽ればますます不安が集まってきます。せっかくなら、それよりもっと望ましいものを呼び寄せたほうがいいでしょう?

いまは、なにもギリギリまで思いつめてからでなく、もっとシンプルに思い立ったときに、あまり気負わず気軽に、占いには行きたい時に自由に行けばいいんじゃない?と思っています。「重症になってハマりこむより、健康的なうちに適度に利用できるといいね!ということです。さらにいうなら、いまどき流行りのコスパ!お値打ち感!を強く求める方々におかれましては、占いに行く時はできるだけなにか目的を決めたり、あらかじめ質問をぎゅっと煮詰めてから行くことをお勧めします。そういうのは苦手で、別にいま困っていることは特にないとか、自分は喋らずにただ話を聞きたいなら、ただ黙って座るだけでどんどん喋ってくれる占い師さんを尋ねるのが良さそうです。(わたしは黙って聞くだけの人の鑑定がまったく得意じゃないです。見ればわかるという霊感系でもない。ごめんなさい。対話型です)

具体的なご質問があれば、もちろんそこにフォーカスしてお話をしていきます。「転職するかしないか」「自分の生まれ持った資質を知りたい」「転機の時期は?」「AさんとBさんどっちがいいか」「この人を攻略するには?」「家族の幸せな過ごし方」などなどいろいろありますね。いちばんだいじな質問を言い出せずに、最後の5分を切ってからようやくなんとなくぼかして尋ねるような方々もいらっしゃいますし、いちばん大事なことは言わずに帰る人もいるそうです。人間の心はつくづく難しいですね。

特に変わったことがなくても、例えば毎年お誕生日に、年の変わり目に定期的に、といった使い方もできます。半分お勉強として、ご自身の研究の答え合わせを兼ねて来る人もいらっしゃいます。わたし自身はそういう使い方もありだと思っていますし、おかげさまでそのようなご用命もたくさん頂いております。(ただし、占いロジックの解説はしない占い師さんもいらっしゃると思うので、そこは事前に要確認です)

他にも純粋に占い鑑定をご所望されるよりも「信頼できる第三者の話し相手が欲しい」というご要望もありますし、「鑑定には泣くために行く」とおっしゃったプロの方のお話も聞いたことあります。もやもやした気持ちを言葉にする、泣くことで淀んでしまった感情を浄化する、そんな使い方もあって「きょうは喋りにきました」とおっしゃるお客様のプロ(?!)のような方々のお顔も思い浮かびます。訓練された第三者と話すのは、身内や友達のような近しい存在に話すのとはまた違うので、カウンセリングやセラピー的な使い方とも言えます。不思議なもので、時間と料金という制約、つまり枠がしっかりある中だから可能になる自由、というものもあるのです。(とはいえ、占いと治療的なものは、無自覚に安易に混ぜるな危険!でもありますよ。このあたりをよく知らないままに気安く簡単に扱わないほうがいいと、治療家でもあるわたしは主張しています)

さらに視点を変えて、お客様として鑑定を受けるだけでなく「自分を知りたい。人を知りたい」という理由で、占いを学ぶという道もあります。これは時間も労力もかかりますが、たいへん強力な方法でもあります。(もちろん学ぶ対象は良く選ぼう!)さらに占いを学んだからといって、全員が占い師になる必要もありません。わたしは「占いスゴイ!」とおもう瞬間ももちろんありますが、冷静に考えれば占いが万能で最高!ではないですし、そういうものが現実や人生に役立つこともあるよね、というスタンスです。みなさまはいかがでしょうか。見えない世界、不思議な世界とどうやって付き合っていくか。まだまだしゃべりたいことはたくさんありますが、きょうはこのへんで。YOUは何しに占いへ?(天海玉紀)