きょ うは建国記念日。もともとは「紀元節」=神武天皇の即位日の祝日です。日本書紀にある「辛酉年春正月、庚辰朔」との記述が元になっているそうなので、現在のように2/11=建国記念日として制定されるまでには、おそらくいろいろな紆余曲折があったと思われます。そういえば、亡くなった祖母が「紀元節の歌」 を歌ってました。関東大震災も戦争も体験した祖母、もっとたくさん話を聞いておけば良かったなぁ…といまさらですが、時すでに遅し、です。
鍼灸師の仕事のなかで、ある程度以上の年代の方々は(現在だと80代後半以上)、それ以下の世代とは明らかに違って骨格や身体の組成が頑健で丈夫な方々が非常に多いと感じていました。そろそろお目にかかれなくなる方も増えますし、年齢相応の老化は当然あるにしても、すでに軟弱な現代人の身体になっている60代以下と比べると、世代によって身体が全然違うことに驚きます。いったいなぜだろう?おそらく若い頃から、暑さ寒さ、生活の不便さ、粗食などに耐えてきた生育環境の違いが最大の要因ではないかと想像します。
私たちの多くが享受している現代社会の綺麗で安全で快適な環境は、まことにありがたくかけがえのないものではありますが、いっぽうで生物としてのニンゲンの生命力を確実に弱らせているに違いないでしょう。インド旅行から帰って来たばかりのmaruさんが、このまえこんなふうに話してくれました。「インド行くと、うわぁ!汚い! げ!危ない! これはやばいだろ〜!みたいに命の危険を感じることがたくさんあって、生命力が刺激される!みんな行くと良いよ!」と。
日本の都市生活では、安全で時間通りになにもかも進むのがあたりまえで、我々はすっかりそうした生活に慣れきっています。身の安全もタダ。明日も変わらぬ一日が来ることもあたりまえに保証されていると疑いも無い。(本当のところは、決してそうではないのにね)だから、例えば、選挙に行ったところで、どうせ世の中は変わらない。投票したい人はいないから行かない。そんな気持ちにも共感できます。でもね、棄権したところで、自分が気に入らない誰かであっても、誰かが当選するのは変わりな い。お家の布団でずっと寝ていても、白馬の王子様がやってくるはずはない。明日なにがあるかはわからない。ささやかでも、ひとつずつ、なにかしらのアクションはしてみようよ…とおもうのです。なにかにコミットして関わってみることが、次なる扉の鍵になるかもしれない。自分の心と、自分の行動が、自分にとっての環境、ひいては周囲の環境を作っていくのですから。自分と世界は確かにつながっている、と感じられるのは、占いを学ぶ大きなメリットのひとつではないかとおもっています。(天海玉紀)