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2016/09/30 大運と大運天中殺

20150731-1920-imgp8800ここのところ、算命学での大運、および大運天中殺についてのご相談が続きました。たぶん、このあたりの記事が刺激剤になったのではないかと想像しています。※「全てが憎い」夏瀬杏子さん→★(20代に巡ってきた天将星大運時期についてのお話)

詳しい解説は省きますが、大運は自分の生まれ月を起点としてそこから季節がぐるぐるめぐるといった仕組みです。順運、逆運と二種類ありますが、ざっくりいえば、誰でも大人になると本来の自分に装備されてる中年期の従星とはほぼ反対の性質の星が回ってきます。杏子さんの天将星大運はなかなか極端でハードな例ですが、そこまででなくても、誰しも当然いろんな葛藤が生じます。だが、それがいい。それが人生の醍醐味で、おもしろいところです。

加えて「大運天中殺」についてのご相談も増えています。「自分がいま、大運天中殺の期間中だと知りました。怖いです」といったごく素直なご質問から、来たる(すでに突入している)大運天中殺期間をいかに過ごすか、という前向きなご相談までいろいろです。

このあたり、ネットではなかなか調べにくい分野ですし、あちこちからの断片的な知識で、必要以上に怯えている方も少なくないようにお見受けします。だいじょぶ、だいじょぶ!こわくないです。20年間もありますしね。大運天中殺だろうがなんだろうが、別に特別に自覚なく、なんとなく過ぎていく人のほうが大多数だろうとおもいます。

ただ「これでいいのか?私の人生?」的なモヤモヤを強く感じたり、悩みを抱えやすくはなるかもしれません。(わたしは16歳-36歳の大運天中殺期間はそうやって悶々と試行錯誤と失敗の連続で終わってしまいました。それがいわゆる「陰転」ってやつです)

たまき的「超訳」で表現するなら、「大運天中殺期間には、世のため人のためになることなら、自分の力が本来の能力や限界以上にどこまでも突破!解放!拡大!される」と考えます。しかーしね、それはたぶん自分個人の望みが叶ってなにもかもはっぴー!というのではなく、どちらかというと「徹底的に天から使役される」ような状態ではないでしょうか。そして、そのためにはそもそもの準備が要ります。

さらに大事なことですが、誰しもがそうした状態を望むわけじゃないですね。大運天中殺とは「日常的な枠が外れて “ふつう” から逸脱する/しやすい」時期です。枠がない。天井がない。どこまでも広がる。そんなかんじです。若い頃に大成するスポーツ選手や、いきなりブレイクする大スター、事業が大きく成功する人などの活躍の多くは、この大運天中殺の時期に重なっています。社会的な活躍や成功が、果たして個人としての「幸せ」なのかどうかは、それぞれに感じるところがあるでしょう。そのことについて、ここでは問いません。

伝統的な東洋思想では、過剰や逸脱は忌み嫌われ、ほどほどにバランスのとれた「中庸」が良しとされます。そう考えると「枠から逸脱する」大運天中殺をよくない期間、と解釈して怖れる方々がいらっしゃるのも無理ないことです。人生を平凡につつがなく安定的に過ごし、世間での常識的な範疇での幸せを求める環境にいるのならなおさら「ふつうでない」状態を志向するのはまったく望ましくない衝動であり、現象でしょう。

現代社会での女性だと特に「好きで好きで続けていた芸事や技術で大人気!ブレイク!」「ひょんなことからアイデアを事業化して大社長に!」みたいな人もいらっしゃいます。そのうち、それまでの家庭生活とのバランスが崩れて、結果的に離婚しました、とか、子どもたちと離れて暮らしています。みたいなケースも多々あるわけで、その解釈や感じ方は人それぞれです。(でも、巡り巡ってそれが子供達にとってはよかった、というケースもあるとおもうんだな。家族鑑定してるとそう思うことはよくある)

「大運天中殺」が本格的に稼働すると「ほどほど」はないのです。だからわたしは、大運天中殺についてのご相談の際は(時期読みの場合も含めて)、まずご自身の置かれた環境とご希望の生き方を伺います。「子育ては終わったから、あとの人生は好きなことをして生きたい。自分の能力を社会で試したい」とおっしゃる方は多いです。その場合は、もろ手をあげておめでとうございます。万々歳っ!「それはよかった!ぜひともこれまでご自身で決めていたご自分の枠や常識を破って、どんどん挑戦してください」とプッシュします。

そして、「何もかも手にしてやるんだ!」という欲があっても、大運天中殺をきちんと稼働させて生ききるることは難しいです。「バランスよく、ほどほど」ではない。そのうちきっと、自分だけの意思では決められなくなるくらいに状況が大きく、早く流れていくことになるでしょう。

大運天中殺を稼働させる秘訣は「無私の心」と言われます。私利私欲が根底にあるとダメです。「他はなくても、これだけはなにがなんでも!」という強い意思と「無私の心」と。「これをわたしがやることで、多くの人が喜んでくれる。周りの環境がよくなる」こうしたポイントが大切です。でも個人が、そうした意思や理想を貫きとおすことは、誰しもが簡単にできるようなことではないとは、お察しいただけるはずです。

それに陽転すると、天井知らずにどこまでも広がって膨らみますが終わり際の着地もまた難しくなります。いっそ知らずに、気づかないほうがいい、という人もいるでしょう。人生に何を求めるか。たぶんポイントはそのあたりですね。

ちなみに、特に生月中殺生まれの方は、大運天中殺時期はよほど長生きしない限り回ってきません。えー残念、って思うかもしれませんが、その代わり、一生つうじて天中殺!です。ですから要するに「みなさまは異能の方々なので、ぜひとも一生こうやってなにかのエキスパートとして活躍して生きてね♪」ということです。にっこり♪

あ、大運天中殺以外に、それに準ずるとされる「変剋律大運」というパターンもあります。(わたしはいまこれの真っ最中)ここまでくるとかなり専門的なポイントではありますが、人生の流れをみるのあたっては、ぜひともこのあたりもチェックしてみると面白いです。

ウラナイトナカイでの算命学メニューは、金曜夜にはワタクシ天海玉紀、火曜昼は夏瀬杏子先生がじっくり拝見させていただきます。大運は、人生の大きな流れを俯瞰するには大変優れています。お若い方にとってももちろん今後の人生設計にお役に立ちますが、たぶん年代がもっと上の方々のほうが、これまでの人生を振り返りつつ、実感をもって豊かに活用くださっているようにお見受けします。(天海玉紀)


<2017年2月11日 追記>

ふだんは「陽転」=良い(本来の性質を存分に活かして充実している)、「陰転」=悪い(本来の性質を活かせず低迷している)という意味であれこれお話ししています。

しかしながら「大運天中殺」だけはちょっと事情が複雑です。そもそも「陽転」するにも条件があります。厳密には大運天中殺時期の前に、喪失体験=離別、左遷、離婚など一般的に不幸と呼ばれることがないとダメ、と言われますし、実際に陽転したらしたで、適度にほどほどということはなく、自分の思い通りになる、というわけでもありません。

なんといいますか、追い風が吹いて、ドーピングされて、ふだんの自分の力よりずーーーっと大きなチカラが使えるような魔法がかかっているような状態と思われます。しかしながら、いつまでも続く訳じゃないので、必ず終わります。思いっきり陽転すると、もともとの自分の実力相応の大きさに萎んで戻るときの着地ぎわが難しくてたいへんなのです。でも、ずーっとイケイケでやってきていると、それがあたりまえの状態、と勘違いしやすくなるでしょうね。

といっても心配ないです。ふつうはそこまでいかない。なにせ20年間ですし、そのあいだにはなんとなく「なんか違うんじゃないか。このままでいいのか」とモヤモヤしながら生きている(いた)人のほうが間違いなく多いでしょう。それはそれで、悪いことじゃない、と思います。普通じゃない、というのはなかなかたいへんなことです。

昨日お越し下さったお客様は、みごとに陽転(しまくり)と思われるお話の数々を聞かせてくださいました。ダイナミックで波瀾万丈、いっときも気が休まることのない、体力と気力をギリギリまですり減らして闘う大冒険人生、という感じです。つつがなく、ほどほどに、平和に、穏やかに、という人生を求める方々からみたら、とてもそれが幸せ、とは思えないでしょう。

自分は何を求めていて、何をもって幸せと感じるのか。自分にとっての「よい」「わるい」はいったいどういうことか。そのあたりをよーーーく考えて、はっきりさせておけば、ムダに人を羨んだり、蔑んだりすることも減って、いろいろ役立ちます。

「吉凶」ってなんだろう?というお話。こちらはご参考までにどうぞ。

2017/02/10 十大主星の吉凶?!