ゲームの中には「育てゲー」というジャンルがあります。 (正式には、育成シュミレーションゲーム)一般的には、モンスターや競走馬を繁殖&育成したり、人間やスポーツチームを育てたりしますし、もっとスケール大きく、地形や街や世界(!)を創造するパターンのゲームも広義の「育てゲー」に分類されるでしょう。
一時期ほぼゲーム廃人だった私が、これまでいちばんハマったゲームのひとつは、ポケモン育成、でした。配合に適したオスとメスを育成し、そこからさらに優秀なタマゴを孵化させる、というシステムは実にシンプルで、ただそれだけ、ともいえます。しかしそこに「種族値」「個体値」「努力値」「性格」といったパラメータの変数が加わるうえに、さらにそうやって育成した選りすぐりのモンスターを何体か組み合わせてパーティを組んで戦略を立てて対戦する、となると、ありとあらゆるシュミレーションや作戦、膨大な時間と手間が必要になり、それはそれは目眩がするような煩雑で複雑な工程でございます。
よく考えてみると、私があのゲームにハマっていた時期はちょうど「出産したいなら、ちゃんと人生計画を立てないと!」と、世の中で怒られてしかるべき年齢時期に相当します。そうかー。私は世の中のみなさんの子育て期に、脇目もふらずに日々必死で仕事しながら、その傍らでさらに必死で寝る間も惜しんでポケモン育ててたのか〜!と改めて考えると、われながらしみじみと笑いがこみ上げてきます。
ゲームの育成なら、なんといってもリセットボタンを押してやり直せますし、時間と手間さえ惜しまなければ、かなりの部分で自分の意図や努力を成果として反映させることができますし、途中で投げ出すこともできます。しかしながら、人間はそうもいきません。それはまぎれもない事実です。でも、ちょっと考えればわかるように、能力値に偏りがあるほど、突出した能力と大きな弱点があるし、まんべんなくバランス取れた円満型というのももちろんあります。攻撃力が強ければ守備力は弱いし、その逆もあるし、魔力も腕力も両方欲しいなら、とてつもない素質やエネルギー量が必要だし、たいていはどちらもほどほどのスケールでしょう。誤解を恐れずいうなら、そういうことって、ゲームの世界だろうが人間の世界だろうが、同じでしょう?だったら、最初から特性や向き不向きをよく考えて分析したうえで、どうやって進んでいくのか計画したらいいんじゃない?もちろんそれをわかったうえで、あえて違う方向にいくという選択もありでしょうし、と。
算命学を学びながら「向いている/向いていない」というはっきりとした切り分けをする考え方に、私はまったく違和感を覚えませんでした。むしろすっきりして、無駄が削ぎ落とされたようで、たいへん嬉しく感じました。「私は無理して結婚や子育てするより、特殊技能の仕事で腕を磨くことが向いている」と、それまでの自分の選択を迷わず肯定できるようになりました。世間様がそれをなんと言おうと、私の場合「これでいいのだ!」 なのです。ないものはない。ないものねだりは不幸の始まり!代わりにたくさんあるものをだいじにしよう、というわけで、命式が円満なバランス型ではない人にとっては特に、算命学のきっぱり・はっきり切り分ける世界観は馴染んだり、救いとなることが多いです。(天海玉紀)