2015/04/28 陽転と陰転

さきほど飛び込みでお越しくださったお客様から、「ブログを見ましたが、読みが明るいですね。暗いほうに読まないところがいい」とおっしゃっていただきました。ありがとうございます。楽観的過ぎるだろ、というツッコミももちろんあるとおもいますが、同じ出来事でも、悶々と悩んで苦しむだけだと損した気分になるので、くっそー!悔しいけどこれでいいネタができた。これも肥やしにしてやる~!と常に頭をひねって必死で考えます。ですから、カードや命式や出来事を、なるべく明るい見通しで読む癖がついているのかもしれません。

「陽転」や「陰転」という言葉を聞いたことがありますか?果たして正確な定義づけがあるのか、寡聞にして存じませんが… 「陽転」とは単純に明るくにぎやかなことではなく、それぞれがご自分の持って生まれた要素を存分に生かすこと、だと考えています。(ですから、かわいらしく無口でしっとりしているような「陽転」ケースもあります)必ずしも陽がよくて陰が悪いわけではありません。しかし、一般的に「陰気」という言葉がポジティブな意味ではあまり用いられないように、わざわざ「陰転」という言葉が出てくる場合には、ぐじゃぐじゃうじうじと自己否定したり、周りの文句を言ったり、なにごとにも消極的で悪いことばかりを想像して悶々とするような生き方を指しています。
陽極まれば陰となり、陰極まれば陽となる、というように、いつまでも陰ばかり、いつまでも陽ばかり、ということもありません。四季がある地域なら冬は終わって春が来て夏が来るし、いまは人気絶頂のアイドルやめちゃくちゃ儲けまくっている投資家にも、いつかは必ず頂点から落ちる日がやってきます。ですから、ずーっと陰ばかり、すべてよくないことばかり、ということもない!はずなんです。

とはいえ、「ここまで生きてていいことなんてひとつもない」とおっしゃる方々もいらっしゃいます。(個人的には、生きてるだけで丸儲け!と思うんですけどな!)あくまでそれは、個人の感じ方次第。信じられないくらい厳しい状況を切り抜けてきた方が、あっさりさっぱり飄々と生きていらっしゃるときには自然と頭が下がりますし、第三者からすれば「えっ?」と思われそうな状況でも、この世の終わりの大不幸みたいに悩む場合もありますから、つらさや痛みを感じる仕組みは、実にひとそれぞれだなぁと思わずにはいられません。

世の中には、生きてる限り、どうしてもどこかに必ず悪、はあります。しかしながら、ごくごく率直に個人的な感想を申し上げますと、いつまでもいつまでも、親が悪い、上司が悪い、配偶者が悪い、子供が悪い、世間が悪い、時代が悪い、あいつが悪い、みたいにひたすら他所を悪者にしたり、わたしなんか…とご自分を過剰に否定しているあいだは、なかなか「陽転」という巡りはやってこないように思います。

世の中はおもったほど素晴らしくも美しくもないかもしれない。自分の素の姿は、自分が期待していたほど大したこともなく、ごく平凡でありふれていて、むしろ汚くて腹黒くて醜いところがたくさんあるかもしれない。だから、そんなこんなをまじまじと直視するより、ぜんぶ人のせい、まわりのせいにしたほうがよほど安全で自分の心の平穏が守られるよね!なーんって。自分の中に、破壊的でネガティブな気分があふれてきたときには、いつも真剣にそう考えます。なにもかも疲れ果ててくると、「あれがわるい!ぜんぶあのせいだ!」みたいに、短絡的な思考になります。

そこでひと呼吸。今回この人生のために配られたこのカードで、知恵を絞って、努力して、できるところまでせいいっぱいやってみましょうよって、めのまえのことをせいいっぱいやるだけだよ!というのが、きっと「陽転」の正体なんじゃなかろうか、と考え直します。ただただ必死で、大変なことばかりで、別に華々しくもなく、まったくおもしろおかしくもない。むしろ、ぜんぶひとのせいにして文句ばかり言いながら、薄暗い部屋の暖かいお布団の中でうずくまって、出来事の当事者にはならずに、手を汚さずに安全圏で生きてるほうが、よっぽど楽かもしれないけど… そんなふうにも、うすぼんやりとおもうのです。

「私の人生暗かった…」と来たら、「夢は夜ひらく」と歌われましたっけ。清く正しく、明るく楽しく、元気に溌剌と、だけが「陽転」ではないでしょう。形はいつか必ず消える、滅びるんですから。そんなこと、そこまで考えていたらなんにもできないよ、じゃなくって、いつかははかなく消えるからこそ、いまここで、自分で決めた道ならそこてハラくくって、淡々と粛々と、せいいっぱいいっしょうけんめいやる、ってところが美しいんじゃなかろうか。(天海玉紀)

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